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東京スカイツリーと東京大空襲 その2

母は親戚の家に疎開をしていました。
しかし、空襲の数日前に「さびしがってあまりに泣くから。」
ということでいったん家に帰っていたところでした。
家には女学校に行っている二人の姉と弟、母の両親と六人がいました。

あと何日か疎開先にいたら、母は空襲に合わなくて済んだのです。
ただ、のちに祖母はこういっていました。

「『あの時は子の子だけを残していかずに済む。家族全員一緒に死ねる。』と思った。」

空襲のとき母たちは禁止公園に逃げました。
祖父は一人残り、祖母が子供たちを連れて公園へ避難したのです。
公園も火の海で、乾燥していたために火の粉が服につくと途端に
燃え始めたそうです。

祖母は、シーツを広げて子供たちにおしっこをさせ、
わずかな水分で服についた火の粉を振り払い、火を消したそうです。
子供のおしっこなんてすぐに乾いてしまい大した役には立たなかったでしょうが
それでも、ほかに方法がなかったそうです。

母たちの家のあたりが燃えているとき、川向うは火の手が上がっていませんでした。
周りにいた人は火の手を避けて川向うへ逃げ始めました。
祖母もどうしようかと考えたそうです。

その時一番上の叔母が
『お父さんと錦糸公園で会うことになっているんだから絶対に動かないで、ここにいよう!』
と言ったそうです。
祖母は、公園にとどまることにしました。

結局この判断が一家を救うことになりました。

川向うもほどなく焼夷弾が落とされ行き場を失った人々は、川に飛び込み
おぼれて亡くなったり、人々の荷物に火が移り川の中に飛び込んだ人も焼け死んだそうです。
川向うに逃げようとした人々はほぼ全滅だったと言います。

火の中を何とか凌いで、母とその家族は空襲を生き延びたのです。
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